帯の覚え書き お太鼓結び
いつも描いているこの帯、こういうのが当たり前だと思って描いてきましたが、じつはこの形は江戸の後期に江戸深川の芸者さんたちがやりはじめて、本格的に流行りだしたのは明治になってからということなんですね。
…これはこまったぞ、まあ今までの絵はみんな江戸後期ということにすればよいか、なんて言っている場合ではなく、たしかにあらためて浮世絵や時代劇なんかを見るとこの帯は見ませんねえ。
まあとりあえず覚え書きはこれで描くとして、違う帯もこれから描いていくことにしましょう。
ちなみにお太鼓結びイコール名古屋帯と覚えていたわけですが、名古屋帯が名古屋で考案されたというのは間違いないのです。
が、なんとその時期、ウィキによれば『大正末期に名古屋女学校(現在の名古屋女子大学)の創始者越原春子が考案した。』とある。つまり、深川の芸者がしていたお太鼓結びは名古屋帯と呼ばれるものではなかったのです。