SHIN 座敷童子(color) ZASHIKI-WARASHI

SHIN 座敷童子(color) ZASHIKIWARASHI

座敷童子を描くのははこれで二回目、前回はもっとにこやかな感じでした。

実は筆を入れるとき失敗してしまったので一部デジタル化しました。一部というか顔のほとんど。

筆での投稿の際はデジタル修正はルール違反にしてたんですけどね、まあいいか。

テキトー😆

今日も鬼です(color) ONI

今日も鬼です(color) ONI

なんというタイトルでしょうか?

なんと筆で描いたときのタイトルがこれ。たまたま鬼連続だったのです。

かなり原画を修正しました。

勢いを大切にしたいのでデジタル化を考えて筆を使うっていうのはどうかとも思ったりしていますが…もうちょっとちゃんと描こうかな😆

鬼さん怒る(color) ONI

👹『10万円はまだかー!』
👹『マスクもこないぞー!』

ぜんぜん江戸時代じゃない😆

海外からも共感?のコメントが入っているようです。どの国も方も新型コロナイルスでストレスが溜まっているのだと思います。

才右衛門の診察その9 SAIEMON

才右衛門の診察その9 SAIEMON
おこん『これは犬神の親分さん、手下も連れずにお一人で… まさか和解の申し入れ、ですか? 』

才右衛門の診察その9 SAIEMON

才右衛門の診察その9 SAIEMON

才右衛門の診察その9 SAIEMON
犬神一家の親分『あの戦いからもう百年経った… 最後のいざこざでも十五年も前だ、どうだろうこのへんで、いや何も仲良くしようというんじゃないんだよおこんさん、この江戸ではもう犬と狐の争い事はないのだとそう確認したいだけなんだ。そうすればお互いの若い衆も気が楽になるだろうと、そう思ったんだが。』

おこん『まあ親分さんがわざわざ来られてそういう話をして下さるなら、私は構いませんよ(この匂い、お土産は日本橋の高級お揚げみたいだし)。江戸も昔と違って大きくなりすぎて、多くの狐が山に引っ込んじまいましたからねえ。今となっては… 江戸に暮らす犬の数を考えたら、どっちみちこちらの負けですよ。』

犬神『いやいや、おこんさんの強さは知っていますから。あなた一人で、うちの半分はやられますよハハハ。それでは、そういうことで… あ、そうだ、ここは隣に診療所を開いてるんでしたね。私、最近ちょっと心の臓が悪くて、ついでと言っちゃあ何ですが診てもらってもいいですかね。』

才右衛門の診察その9 SAIEMON
才右衛門『あ、ああはい、私が医者の才右衛門で…さあこちらへ。』

おこん『(時々往診に行ってたくせに…私が気づかないわけないだろ)』

才右衛門の診察日誌その9、今回は会話中心です。

絵はちょっと雑かな😆

犬神の顔デカすぎ?

ウエメダシャク(color) UMEEDASYAKU

ウエメダシャク UMEEDASYAKU

この妖怪はウメエダシャクという蛾を参考に描きました。「シャク」というのはシャクトリ蛾のことで、つまりは幼虫はシャクトリムシです。「シャクトリ」とは、歩く様子が長さを図っているように見えることからきた名前です。長さを図る「尺を取る」ということですね。もうそのへんでいい?はい、すみません。で、尺取りとはいいますが、この蛾の幼虫は一寸、3センチくらいの大きさです。「ウメエダ」とは…もうやめます🙇‍♂️😁

知ったかぶり投稿😆

この絵は筆のときもかなり人気があった。自分ではそれほどでもと思っていたけど、カラーにするとなかなかいいかもしれない。

振り向くポーズがいいのかも。

旧タイトルは「蛾 moth」。

ワシ女? WASHIONNA

ワシ女? WASHIONNA

ワシ女? WASHIONNA

ワシ女? WASHIONNA

セリフ候補①『ちょっとまずそうだけど、食えないことはないか。』

セリフ候補②『私としたことが、なんでこんな男に一目惚れなんか…』

セリフ候補③『 』

セリフ候補③にはインスタグラムでたくさんのコメントいただきました。ありがとうございます。なかなか面白いのもありました。

@ikazuchi_baby『Stay Home ってのは本宅に居るのが原則だよ!(別宅からの強制送還中)』

それから、フォロワーさんにワシ女という名前を付けてもらいました。

もうひとつ、チリの方からタトゥーのデザインに使いたいということでDMが来たので、3枚目の全体像を送りました。(これがタトゥーのデザインに?)

江戸川画爛の簡単な幸福論

おしづ改

脳、

脳は、刺激を与えれば与えるほど、その部分の細胞が太くなり、ますます電気が通りやすくなるという性質がある。

これは、

考えれば考えるほどその考えが強くなる、ということでもある。

ここで重要なのは、これが「良い」「悪い」や「好き」「嫌い」と言ったような考える《内容》とは全く関係がない、ということ。実は幸せになりたい人にとってこれ以上に重要な事実はないと考えている。

(忘れようと思うほど忘れられなくなるのはこの理屈による)

つまり幸福に関して言えば、

自ら幸せと認識する事柄を多く見ようとするなら、幸せは増大し、自ら不幸と認識する事柄を多く見ようとすると、不幸は増大する。

簡単に言うとそういうことだ。(簡単すぎるだろ)

雨が降ったときに、雨粒が傘やカッパに当たる音が心地よいと思うか、それとも雨が降ったというだけで『雨なんか降りやがって!』と不機嫌になるか。

さっきのあいつの態度はなんだ!と何日も腹立たしく思い続けるか、まあそんなこともあるか、とすぐに切り替えるか。

日常のどこにでも幸福や不幸の要素はある。不幸の要素を排除(「停止」というイメージに近い)し、幸福の要素を採用する。

そうは言っても、嫌なやつのことや昔の忘れたい思い出… あるよね…

そんな事が自然に頭に浮かんだりもするのだから仕方がない、と思う人もいるだろう。

たしかに望んでもいない嫌なことが突然頭に浮かんでしまうことは誰にでもあるだろうし、そんなこと考えるのはよそうと思っていたのにまた出てきてしまうということもあると思う。

頭に浮かぶこと自体を阻止することは不可能だ。そしてその事実を否定はできない(してはいけない)。しかしそのあと、その(頭に浮かんだという)事実に刺激を与えてそれを(頭の中で)増大させるか、(頭に浮かんだという)事実を事実として認めて(👈ここ重要)そこで終わりにさせる(さっき「停止」と言いました)か、幸福を考えるにはそこが重要な分かれ目だ。そして、これ(終わりにさせる)には技術がいる。

残念ながら、具体的なところはなかなか説明が難しい。理屈は冒頭で言ったのであとは自分なりに考えてみてほしい。 試してほしい。(ちょっと不親切?)

その技術を磨くと同時に、心地良かったことや心地悪かったこと、について自分の思いをよく観察し分析することも大切だ。

そして、次に同じことが起きた時にそれを制御できる準備をしておく。継続、増幅かあるいは停止か。無理に消去しようとするとかえって増幅してしまう可能性があるので注意しよう。

そして最終的にはそれを自動化する。

これを繰り返していくと、嫌なことがあまり頭に浮かばなくなるという豪華なおまけも付いてくる。頭の中の回路の使用頻度が変わり、結果、思考の優先順位が変わってくるからだろう。

幸せの形…思いは人それぞれだ。それは時代や場所、その人の育った環境でも変わってくる。

妖怪からす三女黒菜(color) KARASU

だが、どんな人であっても、自らの思考を制御することが幸せにつながる、ということに変わりはない。

私が考える「幸福」、

自らを自然に心地よい方へ制御できる状態にあるとき、その人は「幸福な状態」と言える。そして人は意志と努力によって、自らをそのように制御する技を得ることができる。

結論、

幸福とは探すものではなく、たまたま出会うものでもなく、誰かにもらうものでもない。

幸福とは、

自らの意思で常に身に纏うもの、である。

(カッコいい!)

以上、こんな文章をいつか投稿しようと思っていたのですが、昨日「新型コロナウイルスで突然死が多発」というニュースを耳にして投稿することにしました。

いつ死んでもいいようにしておこう。

令和二年四月二十三日

江戸川 画爛

画爛語録を掲載しました(2020/04/26)。お暇ならこちらもどうぞ。

「令和」発表記念(color) REIWA