画爛流画法 GALAN-STYLE

蝙蝠姐さん2-2

描いた線が次の線を生み出す。

だからまずは一本の線を引く。

何を描くにしても、

何も考えなくて良いからまずは生きた線を一本引く。

何本か引いた中から生きた僅かな線を見つけるのも良い。

その線が生きていれば、

それは進化して、やがて生きた「形」となって紙の中に現れる。

ここに画爛流画法の中心を記す。

令和二年十一月九日

江戸川画爛


なーんて、がらんのガラにもなく 笑 カッコつけて書いてみました。半分は覚書のつもりも。

でも内容は少し本気で、つまりはこの絵描きの性格同様、良い意味でまずは無心にテキトーに描くと良い?ということかもしれません。

けっこう皆さんに描くのが速いと言われるのはこの方法に依るものかと思っていますが、絵を始めたばかりの方やスランプ中の方など、誰かしら何かしら参考になれば幸いです。

ここ一、二年くらいで絵が上達してきたと思いますし(自分で言ってら…)描き方も随分変わってきました。進化してきました。

いま、描く際に下描きという考えがありません。別の紙にラフ画を描くこともしなくなりました。いやメモ書きすら本番用の紙です。

もし絵を依頼されて依頼者にラフ画を何枚も見せるにしてもそれらはすべて本番用の紙に描く「完成途中の絵」です。(不採用になったら何でも江戸風に仕上げてインスタに投稿しちゃえばいい)

下描き用の紙に描いたその生きた線を本番用の紙にそのまま移すことは不可能なのです。

いくら気に入っていても、全く同じ線は二度と、私は描けません。

一期一会。

GALAN


ついでに、

がらんガランGALAN画爛エドガラン、エド…とお困りの方がいらっしゃるようでしたがコメントやDMでお声をかけて頂くのはどれでも大丈夫ですよ。テキトー。

あと嬉しいんですけど「先生」をつけられると困ります 笑 そんなような者ではありません、ただのおじさんですので。


さらについでに言えば(追記:ああ…すみませんここだけ酒気帯びで書いてます)絵を本格的に習ったことはないので画爛流などと調子に乗って言っていますが、上で言ったことは絵を習った人たちには当たり前のことなのかもしれません…念のため言っておきます。でも中学で、美術の授業の先生が本物の画家だったんですよね。あとで知ったら地方ではけっこう有名だった。教師は趣味でやってるだけだと言ってましたけど、絵の事になると暴力をふるうほどのご指導、あれは今でもとても宝になっています。先生、ありがとうございました。2B以上と言われたのにHBでこっそり描いてたら叩かれた。暴力美術教師!暴力反対!数学や国語は考えなくてもいいから、美術のことだけを考えて生きろ!と受験間近に言われて3年の教室がシーンとなっていた。学校のポスターを描く授業でそのラフ画に自分にだけOKを出さず何回も描き直させましたね。何回教員室に通ったか『はいダメ!』…でも最後は『これだよこれ!』と言って喜んでくれた。あとそうだ、先生は車の免許の更新の際、青信号を『これは青じゃなくて青緑だ!』と言って警察と喧嘩して大ごとになった!? いま思い出しました。絵描きってみんな少し変? 笑 でも一番覚えているのが、一度だけ先生が女子生徒を机の上に座らせて自らデッサンを描いた、描いているその姿。そして描いた絵。描いているその姿は狂気そのもの(だって先生の目が点になって、眉毛が吊り上がって、描く手が速すぎて見えないくらいだった)。出来上がったデッサンは見たことがない美しい線、形。そしてそのモデルの生徒は、たまたまそのころ自分が猛烈に恋していた大人びた影のある女生徒。

画爛流画法は画爛流の幸福哲学?に近い部分があるのかも。「線」を「経験」に置き換えてみればね。


※以上こういうのは後で照れくさくなったらまた削除するかもしれないので…今のうち見てね。🤣 2020/11/09